子どもを可愛いと思えない日の奥に

|母になって気づく、愛されたい私

子育て中、
「自分の子どもなのに、可愛いと思えない」
そう感じてしまい、ひとりで苦しんでいるママがいます。

子どもを産んだら、
自然に愛情が湧いてくるものだと思っていた。

抱っこした瞬間に涙が出て、
この子のためなら何でもできると思えて、
寝顔を見るだけで幸せで。

そんな母親像を、
どこかで信じていた人もいるかもしれません。

でも、現実にはそう思えない日があります。

可愛いと思えない。
抱っこしたくない。
泣き声を聞くのがつらい。
一緒にいるのが苦しい。

自分の子どもなのに、
どうしてこんな気持ちになるんだろう。

そう思ってしまう自分が、
何より怖くなる。

「私は母親失格なんじゃないか」
「この子をちゃんと愛せていないんじゃないか」
「こんなこと、誰にも言えない」

そんなふうに、
心の中でひとりぼっちになってしまうママは少なくありません。

でも私は、
その気持ちをすぐに否定しなくていいと思っています。

もちろん、
子どもを傷つけていいという話ではありません。
そこは絶対に守らなければいけません。

けれど、
「可愛いと思えない」という感情が出てきたこと自体を、
母親失格の証拠にしなくていいのです。

「可愛いと思えない」の奥にあるもの

その気持ちの奥には、
いろいろな背景が隠れていることがあります。

寝不足。
孤独。
産後のホルモンの変化。
誰にも頼れない環境。
ずっと張りつめている神経。
「ちゃんとしなきゃ」というプレッシャー。

育児は、
気力だけでどうにかできるものではありません。

身体が限界に近いとき。
睡眠が足りないとき。
安心して弱音を吐ける相手がいないとき。

人は、
本来持っている優しさを出せなくなることがあります。

だから、
子どもを可愛いと思えない日があるからといって、
すぐに「私はダメな母親だ」と決めつけなくていい。

それは、
心や身体が限界を知らせているサインかもしれません。

そして時には、
自分自身が子どもだった頃の傷が、
静かに疼いていることもあります。

子どもの姿に、昔の自分が反応していることがある

子どもが泣く。
甘えてくる。
抱っこを求める。
何度も呼ぶ。
思い通りにならなくて怒る。

その姿を見たときに、
なぜか苦しくなることがあります。

頭では、
「この子はまだ小さいから仕方ない」
「甘えたいだけなんだ」
とわかっている。

でも心の奥では、

私はそんなふうに甘えられなかった。
私は泣いても受け止めてもらえなかった。
私は自由に怒れなかった。
私はいい子でいないと愛されないと思っていた。

そんな感覚が、
静かに疼くことがあるのです。

目の前の子どもが悪いわけではありません。
そして、あなたが悪いわけでもありません。

ただ、
自分の中の小さな私が、
まだ愛されたがっているのかもしれない。

そんなふうに見てみると、
「子どもを可愛いと思えない私はおかしい」
という責める視点から、
少しだけ違う場所に立てることがあります。

母と娘の関係は、あたたかくて、複雑

母と娘の関係は、
とても深くて、あたたかくて、
同時にとても複雑なものでもあります。

母からもらった愛もある。
母が必死に守ってくれたものもある。
母なりに精一杯だったことも、
大人になった今なら少しわかる。

でも一方で、
知らないうちに受け継いできた痛みもあります。

「ちゃんとしなさい」
「泣かないの」
「わがまま言わないの」
「お母さんを困らせないで」

そんな言葉の奥に、
母自身の余裕のなさや、
母もまた愛されきれなかった寂しさがあったのかもしれません。

そしてその痛みは、
気づかないままだと、
次の世代へ静かに渡ってしまうことがあります。

娘だった私が、母になったとき。

目の前の子どもの泣き声にイライラする。
甘えてくる姿が苦しくなる。
自由に感情を出すわが子を見て、なぜか責めたくなる。

その瞬間、
本当は目の前の子どもだけを見ているようで、
私の中の小さな私が反応していることがあります。

私は、そんなふうに泣けなかった。
私は、そんなふうに甘えられなかった。
私は、そんなふうに受け止めてもらえなかった。

だから苦しくなる。

でも、そこで終わらなくていいのです。

母と娘の関係を、スパイラルアップへ

母と娘の関係は、
痛みが下へ下へと流れていく
スパイラルダウンだけではありません。

気づいた人から、
その流れを変えることができます。

私は本当は、こうしてほしかったんだ。
私は本当は、寂しかったんだ。
私は本当は、甘えたかったんだ。
私は本当は、安心したかったんだ。

そうやって自分の中の小さな私に気づくことは、
過去の母を責めるためではありません。

今の自分を責めるためでもありません。

次の世代に、
同じ痛みをそのまま渡さないためです。

母から娘へ。
娘からそのまた子どもへ。

痛みを受け継ぐのではなく、
気づきに変えていく。

責めるのではなく、
癒しに変えていく。

我慢の連鎖ではなく、
安心の循環に変えていく。

そんなふうに、
母と娘の関係がスパイラルダウンではなく、
スパイラルアップしていく世の中にしたい。

私はそう思っています。

ひとりで抱えなくていい

完璧な母親にならなくていい。

いつも優しくできなくてもいい。
子どもを可愛いと思えない日があってもいい。

でも、
その苦しさを
「私は最低だ」
で終わらせないでほしいのです。

「私は今、何に反応しているんだろう」
「私は本当は何をしてほしかったんだろう」
「私の中の小さな私は、何を言いたがっているんだろう」

そうやって、
少しだけ自分に問いかけてみてください。

そして、
ひとりで抱え込まないでください。

可愛いと思えない。
優しくできない。
子どもといるのが苦しい。

そんな気持ちは、
誰かに話していいのです。

むしろ、
子どもを守るためにも、
あなた自身を守るためにも、
話した方がいいことがあります。

助けを求めることは、
母親失格の証明ではありません。

それは、
これ以上ひとりで傷つかないための選択であり、
同じ痛みを次に渡さないための選択でもあります。

子育ての苦しさは、未来を変える入口になる

「子どもを可愛いと思えない私はおかしい」

そう責める前に、
少しだけ立ち止まってみてもいい。

もしかすると、
私の中にも、まだ愛されたい私がいるのかもしれない。

本当は甘えたかった私。
泣いたときに抱きしめてほしかった私。
失敗しても、責めずにそばにいてほしかった私。
そのままの私で、大丈夫だよと言ってほしかった私。

その小さな私に気づくことは、
弱さではありません。

むしろ、
親子の未来を変えていく入口になることがあります。

母から娘へ、痛みを渡すのではなく、
気づきと癒しに変えていく。

その小さな選択の積み重ねが、
親子の関係を、
スパイラルダウンではなく
スパイラルアップへ変えていくのだと思います。

そしてその変化は、
目の前の子どもだけではなく、
その子がいつか誰かを愛する力にもつながっていく。

だから、
「可愛い」と思えない日があっても、
あなたを責める場所で終わらせたくありません。

そこはもしかしたら、
あなたの中にある痛みに気づく入口かもしれません。

そしてその入口は、
親子の未来を変えていく入口でもあるのです。

あなたの中にも、
まだ愛されたいあなたがいる。

そのあなたに気づくところから、
愛はもう一度、流れはじめるのかもしれません。


最後に

子育ての中で出てくる感情は、
いつもきれいなものばかりではありません。

でも、
その感情をなかったことにせず、
責めるだけで終わらせず、
少しずつ見つめていくことで、
親子の関係は変わっていきます。

ひとりで抱えなくて大丈夫です。

子育てのしんどさや、
母になってからの心の揺れを、
安心して話せる場所が必要なときは、
講座や個別相談でもお話を伺っています。

必要な方に、
この言葉が届きますように。

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