最近、わたしは「あわひ」という感覚を大切にして過ごしています。
「あわひ」という言葉を知る前から、
もしかしたらわたしはずっと、こういう場所を必要としていたのかもしれません。
というのも、以前のわたしは、かなりの合理主義者でした。
どうすれば、もっと効率よくできるか。
どうすれば、無駄なく動けるか。
限られた時間の中で、どれだけたくさんのことができるか。
仕事でも、家事でも、日々の予定でも。
次にやることを考えながら今のことをして、
少し時間が空けば、そこにまた別の予定を入れる。
「何もしない時間」があると、もったいないような気さえしていました。
産婦人科医という仕事をしていると、
限られた時間の中で状況を整理し、判断し、動くことが求められます。
わたし自身、ロジカルに考えることも好きです。
考える。
決める。
動く。
できるだけ効率よく、前へ進む。
そうやって生きることは、わたしの強みでもありました。
だから、そんな自分を否定したいわけではありません。
今でも、合理的に考えることは大好きです。
ただ最近、
「効率よく進むことだけが、豊かに生きることではないのかもしれない」
と思うようになりました。
すぐに答えを出さない時間。
何もしない時間。
誰かと言葉を交わしたあと、
その言葉が自分の中に馴染んでいくまでの時間。
目的もなく、ただぼーっとしている時間。
以前のわたしなら「もったいない」と思っていたような時間に、
実はとても大切なものがある。
そんなことに、少しずつ気づくようになりました。
その感覚と、とてもよく重なるのが、
わたしが今、大切にしている「あわひ」です。
「あわひ」は、余白でもある
わたしにとって「あわひ」は、物事と物事の「あいだ」であり、
余白や、ゆとり
でもあります。
以前のわたしにとって、余白は「まだ何かを入れられる場所」でした。
30分空いているなら、これをやろう。
予定がひとつなくなったなら、あれを済ませておこう。
できることなら、一度の移動で用事をいくつも終わらせたい。
そんなふうに、余白を見つけては埋めていました。
でも今は、
「この余白を、余白のまま残しておこう」
と思うことが増えました。
予定と予定のあいだ。
誰かのための時間と、自分のための時間のあいだ。
何かを終えたあと、すぐ次へ向かわずにぼーっとする時間。
言葉と言葉のあいだにある沈黙。
呼吸を吐いて、次の息が自然に入ってくるまでの一瞬。
一見すると、何も起きていないように見える時間です。
でも、何もしない時間は、何も生まれていない時間ではありません。
余白があるからこそ、
「あ、本当はわたし、こう感じていたんだ」
と気づくことがあります。
誰かの言葉が、時間をかけて自分の中に入ってくることもあります。
そして、頭で一生懸命考えていたときには思いつかなかったものが、
ふっと生まれることもあります。
だから今のわたしは、
余白は「空いている場所」ではなく、何かが生まれるための場所
なのかもしれないと思っています。
効率よく、最短距離で答えへ向かうことも大切。
でも、ときには遠回りしたり、立ち止まったり、
何も決めずにその「あいだ」にいてみる。
そこからしか生まれないものもある。
今のわたしは、そんな時間を以前よりずっと大切にしています。

















コメントを残す